宇宙の香り
『いつも笑顔でありがとう』三輪真純先生著書刊行会刊 (写真はクリックにて拡大表示できます)
小泉八雲の言っていたことがそのままに
7月2日の日経記事に東宝研究会理事長の前田專学氏の「仏教の『いのち』とは」という文があり、小泉八雲の言葉が紹介されてありましたので、眼に留まりました。
小泉八雲の著書「涅槃」から取り上げている幾つかの思想の中に下記ようなものが在りました。チョッと長いですが記してみます。(この著書は見ても居ませんでしたので、早速入手したいと思います)
『西洋流の永遠不滅の自我を認めてゆけば、性格、階級、民族の差別を認めない〈無我〉の立場に立つ仏教とは大きな隔たりがでてくる。自我というものがあったら、慈悲というような考え方は生まれてこないし、相手の立場に立つという事もできない。1時期、自我の確立、などということがよく言われたが、その行きつくところは人類の滅亡以外の何ものでもないのではないか。それぞれが自我を張り上げている限り、その先には紛争や戦争以外の何ものも起こらない』
西洋人であるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が西洋思想の限界を強く意識しており、この先見性は凄いものだったのですね。今世界で起こっている紛争、戦争は正に自らの考えのみが正しいという事から起きてる訳で八雲が述べたその通りですね。
三輪先生のお話の中でも、これからの世界を救う為には仏教の考え方の必要性が益々高まる、といわれてますが通じますね。
良い機会ですので、小泉八雲の事を少し学んでみたいと思います。
山下清展
この高崎タワ―美術館は内容的には日本画の収蔵品では最高レベルの東京山種美術館系列の美術館で年間を通して日本画や日本の伝統美術品紹介の質の高い企画展をやってます。
山下清の作品を直で鑑賞するのは初めてのことです。名前はあまりにも有名ですが実際に作品を見る機会はありませんで、新鮮な感じで学芸員のお話に耳を傾け作品に接することが出来ました。
山下清作品では、ペン画がとても多く展示されておりました。現場スケッチも有りますいが、ほとんどは旅先風景を驚異的な記憶力で帰宅後に再現して書いたものも多いとのことでした。
貼絵は7点ほどの展示でした。貼絵は経年による劣化が進みやすいようで、修復保存作業が行われた代表作7点の展示がありました。
山下清の脳裏に焼き付けられた感動を驚異的な作業・根気で貼絵で表現したという感じです。花火の光線一本一本が色紙をコヨリにしたもので、群集・波他細かいものは2ミリ程度にちぎった紙を貼り付けていってました。物凄い集中力と根気が無いと出来ない創作活動ですね。
49歳の若さで亡くなってますが、念願のヨーロッパへも旅も実現したり、気の趣くままに放浪の旅で自分の世界を深めたり、短い人生を行き切った訳で、まあ吉田松陰29歳、宮澤賢治も37歳で亡くなっているわけで、どれだけ深く自分を生ききるかは年齢に関係ないですね。
比較するのもおこがましいがそれに比べてなんだ!と自問しても・・・・
聖徳太子の言葉『我れ必ずしも〜』
十七条憲法の第10はこのような内容でした。
『忿(いかり)を絶(た)ち 瞋(いかり)を棄てて、人の違うことを怒らざれ。人皆心有り。心各執ること有り。彼是なれば吾は非なり、我是なれば則彼非なり。我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理、誰か能く定む可き。相共に賢愚、鐶(みみがね)の端无(な)きが如し。是を以て彼の人は(瞋(いか)ると雖も、還(かえつ)て我が失(あやまち)を恐る。我独り得たりと雖も、衆に従ひて同じく挙(おこな)へ』
やっぱり、この一文を読んでも、聖徳太子は偉いものですね。
「心を静めて怒りを現すな、自分と意見が違っても。それぞれが皆自分の考えを持ち、それぞれの思惑で行動するのは良くある事。我と彼どちらを正と決め付ければどちらかが悪となる。必ずしも自分が正しく、相手が必ずしも悪とは言えない。ともに聖者では無い。誰がことの正悪を決めうるのか。共に賢愚の両方を持ち合わせている。イヤリングが端なく繋がっているようなものだ。この違いをもって、相手が怒ったとしてもまず自分のことを反省してみるべき。自分が絶対に良い事を考え得たとしても、独り先走る事無、良く説明し理解を得てから、皆と共に行動をすべし。」
意訳するとこのようになるのでしょうか?
また、三輪先生が仏教に対してよく言われる言葉に、『仏教では修行で仏に近づくことはできる。然し仏になることは出来ない」
人間はあくまで人間、神ではない。人は良い面と醜い面の両方を持ちながら、人に言えない多くの悩みを持ちながら、日々を生きている。自分は「悟った」と思ったら、それまで。進歩も無く、人を裁く高慢に陥るのでしょう。
この考えも聖徳太子の言葉は繋がりますね。そしてまた、三木清の「謙虚は剛健な心の特質である」とも繋がる謙虚さを持たれていたのですね。
小林一茶のこと
この7月号に島薗進東大教授の「小林一茶のうき世」というのが掲載されてます。小林一茶のことは、ほのぼのとした俳句を作った俳人か、位で何も知らなかったわけですが、実は裕福な家庭に長男で生まれながら、直ぐにお母さんが亡くなり継母に弟が生まれ、家督は継母の子供が継ぐことになり、15歳で奉公に出て40歳まで故郷に帰らなかった。帰れなかったという事かも知れませんが。父が倒れて帰った直ぐに相続争い始まる。50歳で初めて結婚して生まれた2人の子供も直ぐに亡くなり、この最初の妻も亡くなってしまいます。
多くの俳句とその背景等の説明がありますが、3句ほど抜き出してみます。
・『古郷は蝿すら人をさしにけり』・・・一茶にとって古里は敵のところに帰っていくという感じだった。
・『這え笑え二つになるぞけさからは』・・・本当にうれしそうな句ですが、しかし子は満年齢では7ヶ月、数ヵ月後には亡くなってしまった。
・『露の世は露の世ながらさりながら』・・・無常の儚さのこの世だけれども「さりながら」と、思い切れない未練を詠っている。
この掲載文の最後にこのようなことも書かれてます。
「・・、自分自身もうき世の中で泥まみれになって生きているからこそ、蝿や雀や蛙が身近に思えてくる。そういうものが愛おしく、共にそういう存在としてお互いを大事みしていきたいという思いが起こる。・・・」
たしかに自分が実際に泥まみれになって見ないと、体感してみないと!という事は言えますね。
人は色んなことを背負いながら生きているのですね、「さりながら」の未練をいっぱいもちながら。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
五嶋みどりさんの言葉と三木清の言葉
バイリオリニスト五嶋みどりさんのことが紹介されてました。バイオン奏者ということしか分かりませんのでどのような活動をなされているか知らないのですが、下記ような言葉に魅かれてしました。
「身近な欲を捨て、世の中でなされるべきだと信じていることに向って努力する『Yse we can』 とは『やればできる』ではなく『すべきことはできる』」
いつもこんな奇麗ごとでは進まないでしょうが、凄い信念が感じれれますね。きっと『やるべき事』を見出して困難を承知の上で頑張っておられるのでしょう。この方のやられていることは何かの機会にまた伺える事と思います。
とくに五嶋みどりさんの言葉と直接関係内のですが、三木清23歳で書かれた「語られざる哲学」より二言ピックアップ。
『多くの経験よりも深い体験がさらにいっそう価値があるものであることは明らかである』
『素直とは謙虚なそしてそれゆえに剛健な心の特質である』
どれだけの経験をされたか分からない23歳の若さでここ言葉でね。
世の、色んな何かを成し遂げた人を見ていると「一つの世界を深く掘り下げて極めて突き抜けた人は、普遍の真理に近づく、または見出している」と感じているのですがそのような方々とも見えますが。


