宇宙の香り
『いつも笑顔でありがとう』三輪真純先生著書刊行会刊 (写真はクリックにて拡大表示できます)
インド旅行記(11)
(霊鷲山の朝霧)ブッダが晩年を過ごした地ラージギル(当時はラージグリハと呼ばれていた)、ブッダ時代にインド最大の都市国家として栄えたのがマガタ国、その都として栄えた都市国家がラージグリハ。
この古代都市は五つの山に囲まれた要塞堅固な盆地にあり、東南の斜面に有名な霊鷲山(リョウビセン)が天空に向ってそびえ立っています。
この山頂にブッダが長年瞑想し説法した場所に4,5メートルのレンガで囲まれ、中央に金色のブッダ像だ祀られている「ブッダの座」がありました。
ブッダの座は盆地に向って望楼のようにせり出して見晴らしがとても良い。
見下ろすと夜明け前の朝霧たなびく幽玄の世界が広がっており、正に聖地の感があります。
(霊鷲山の朝日)朝靄の中に朝日が鮮やかに輝き昇ってきました。
かすみをとおしての朝日ですので、かなり日が昇っても鮮やかに見ることができます。
聖地の朝日にふさわしい優しい光の金色の輝きを見せてくれました。
(ブッダの座にて合掌)旅の参加者全員で三帰依で合掌。
今回は在家仏教会主催の、釈尊の足跡を尋ねての旅であり、どの地での参拝時も内藤喜一郎先生の先導で三帰依を唱和しました。
(ビンビサラ王の悲劇の地)ビンビサラ王 親子の悲劇を語る観無量寿経の舞台となったという王宮の牢獄址が霊鷲山ふもと近くにあります。観無量寿経は「駄目人間の為の、凡夫の救われる道」の教えと言われます。この教えに親鸞が導かれていくのですね。
インド旅行記(10)
(ガンジス河添いの民家)ガンジス河畔の古代インド中心地パトナより、ブッダが晩年を長く過ごした地ラージキルに向う。
途中のガンジス河沿いの瓦葺の長屋の民家。波打つ瓦葺きの家は貧しい民家の象徴と言われている。
(街道沿いの町の床屋さん)ラージキルに向う街道で見かけた床屋さん。大木に簡単なヒサシを設けてた床屋さんを見かける。若者もちゃんと整髪していて、繁盛している感じです。
同行の現地ガイドさんの説明では、この人達の月収は5,000円程度で都市サラリーマンの月収は平均2~3万円程度とのことです。
(ブッダが瞑想し、説法した霊鷲山に登る)ラージキルにホテルから、日の出を迎えられるように夜明け前に出発し、ブッダが瞑想し説法した霊鷲山(りょうじゅせん)をの山頂を目指す。薄明かりにの晴れた夜空に月が輝いてました。
インド旅行記(9)
(歯を磨く老人)パトナへの街道沿いで歯を磨く農村の老人の光景を見る。
今にも崩れそうな土壁と草葺き屋根の家を背に「ニールハッペ」という樹液が歯に良いよいという木の枝で歯を磨いていた。
同行のインドのガイドさんが参考にとその木の枝を持ってきてくれたので我々も口に含んでみる。
さっぱりとした味で効きそうな感じがした。
(市街地のゴミと家畜)インドの多くの町はゴミが到る所に溢れている。経済発展に追いつかない環境問題の一端か。町中にはヤギや牛、犬などが自由に闊歩し餌を探し歩いていた。
ゴミの問題は別にして、インドでは動物と人間の共存関係は古代インドから現在もも続いており、これからも続いていくのでしょう。
(パトナ市街)パトナの街も経済発展が著しい感じで、活気に溢れていた。近代ビルやデパートに人力三輪車のタクシー自転車、警笛を鳴らしながら突き進むオートバイ。サリーを奇麗に着こなす女性達。
(パトナ市街の道路建設)パトナ市街でも到る所で道路建設が進んでいる。
インド旅行記(8)
(ブッダガヤのブッダ悟りと菩提樹の前にそびえる大菩提寺 世界遺産)ブッダはスジャータ村を抜け、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを得た。
その菩提樹の前に世界遺産にも登録されている見事な大菩提寺がそびえ建っています。
また菩提樹の下にはブッダが座していた座として金剛法座が欄楯に囲まれていた。
ここから仏の世界が始まったのですね。
(ブッダの背輪がコブラ)大菩提寺にある池にブッダ像がありますが、このブッダは背輪がコブラとなっています。
日本の仏像にコブラの背輪は見かけませんね。
もっとも恐ろしいものがブッダを守ったということを意味しているそうです。
(大菩提寺の参拝に向うダライラマ14世)今話題にも人にもなってますが、ダライラマ14世はインドに亡命しております。そのダライラマが年に何回かはこの大菩提寺を参拝に訪れるとのことです。参道付近が騒がしいので駆けつけると、イマダライラマが来るということでしたのでカメラを構えて待っていると護衛に囲まれ凄いスピードで通り過ぎていきました。一瞬に撮ったら幸運にも撮れた一枚きりの写真です。
インド旅行記(7)
(スジャータ寺にて)ブッダは苦行を捨てて尼蓮禅河を渡ろうとして身を浸した時に、宇宙につながり自然に生かされて一体となっていることを悟ったという。
河を渡り、近くの村娘スジャータに捧げられた乳粥をすする。このときの娘スジャータと牝牛とブッダ像を祀る素朴な御堂があります。
お参りするのは内藤喜八郎先生。この釈尊の足跡を巡る旅の引率解説してくださった在家仏教会の理事で恐ろしく深い学識と素晴らしいお人柄の御方。
(スジャータ村の農村 脱穀風景)近くの村では今でも牛に踏ませて脱穀をしていた。日本ではこのような風景は何時頃まで見られたのでしょうか。インドでは街でも村でも牛と人間は共存の世界。
(物乞いの子供達)ここだけの話しでは無く、とても旅行者を悩ます物乞いの子供達がいつまでも付いて来ます。1ルピー々々・・・・・と手を差し伸べながら。一人にあげては大変なことになるのです。


