宇宙の香り
『いつも笑顔でありがとう』三輪真純先生著書刊行会刊 (写真はクリックにて拡大表示できます)
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池上三重子さんの歌

(碧明るき空に柿照る)(この写真のバックに見えるのは上毛3山の1つ赤城山です)
昨日は快晴で吸い込まれそうな空の青さでした。
『来世あらば身健やかに夫に添わん碧明るき空に柿照る』
リュウマチが進行し、不治の病と宣告され、寝たきりの生活となり、愛する夫に対して自分の出来る事は妻の座から身を引き、自由の身にしてやることしかないと離婚を申しでて最初は納得しなかった夫を一年がかりで説得。病床40年病臥20年を立派に生き抜いた池上さん。
あまりにも透き通った空の碧さを見ると、今年3月に亡くなられ、歌人でもあった池上三重子さんのこのな歌を思い出します。
切なくも思いの深き歌と感じ入ります。

(妙義山に日は沈み、残照映える)
この日は昼の碧さに加え、妙義山に沈んだ後の残照も見事でした。
杜人展始りました

(会場は銀座2丁目 松屋近くの貿易ビル7F)

(杜人会とは)
今年は第44回展ですが私は5年前からの参加で公募でなく同人展となってます。創立からの方は今年90歳となりますね。

(抽象画コーナーの一角)
今年度の出品者は32人で61点を展示しております。抽象画と具象画がほぼ半々数となってます。

銀座6丁目で会社経営され、志帥塾や素行会その他の世話役をやっておられる頼経さま(左側)が早速おいで下さりましたので、2点の作品(80号)前でパチリと。
テーマ : 展示会、イベントの情報 - ジャンル : 学問・文化・芸術
今日も笑顔でご満悦

(美女に囲まれ今日もご満悦)
23日は川崎倫理法人会に招かれての講演でした。
いつも笑顔が素敵な三輪先生ですが、特に美女に囲まれると益々笑顔が冴えてきます。

(気力溢れるお話しぶり)
今日の講演も立ったままで気力溢れるお声でのお話しぶりでした。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
著書「いつも笑顔でありがとう」の表紙写真は

(毎朝拝まれる観音堂)
著書編集中の昨年12月のある日の早朝に前触れなくおしかけて、三輪先生が毎日歩かれているという散歩コースに同行させて頂き、先生はこの観音堂に来ると読経を始められたので早速パチリ。
今回の著書編集にご指導・ご協力頂いた、前橋図書館長の岡田芳保さま、ノイエス朝日の武藤貴代さまと著書の表紙をどのようにするか相談していた時、岡田さまがこの写真の格子戸が面白いと注目され、再度格子戸と前にあった賽銭箱の写真を撮りに行き、その中の一枚が採用となりました。表紙と見返しの装丁・レイアウトは武藤貴代さまが仕上げてくださいました。やはりプロの方の目の付け方とセンスは鋭いもの。
ということで、「いつも笑顔でありがとう」の表紙の格子模様は単なるデザインとして作ったものでなく、三輪先生が毎朝拝まれている観音堂の扉を撮影したものです。
岡田芳保さまと武藤貴代さまは群馬の一番の老舗書店で長年出版やギャラリーの責任者をやられていたお二人で、このお二人のご指導・ご協力無しでは今回の著書はまともに出来ませんでした。本当に有難い方にご縁を頂いたものです。
このお二人との出会いも三輪先生が晩年の水上勉の素晴らしさについて追求し続けていた御蔭によるものでした。
新潟県村上市での講演と史跡訪問

(村上市で講演中の三輪真純先生)
チョッと前になりますが今年6月に三輪真純先生に私の郷里新潟県村上市まで奥様とお出かけ頂き、岩船広域教育情報センターで講演して頂きました。最初は先生の来訪に合わせて同窓会を開き、人数少なくてもお話し頂こうかと考えてました。ところが高校の同窓生に相談しましたら前教育長の渋谷敏雄先生にお話してくれまして、渋谷先生が早速に大変にご尽力下さいまして市や教育関係者、一般の方も含めて講演当日は200人を越える方々が駆けつけてくださりまして大変盛況な講演会となりました。司会・受付はじめ多くの方々のご協力で会も大変スムーズに進んだと思います。有難いことに講演後渋谷先生の所には講演内容も良かったと言う電話も沢山頂いたとのことでした。皆様大変有難う御座いました。

(村上市役所近くの種田山頭火句碑を訪問)
講演後、渋谷敏雄先生のご紹介を頂きまして、平成5年にこの村上の地に種田山頭火句碑が建てられましたが、この句碑を建てる会の代表を務められて熱意と執念で句碑建立を実現されました長谷川勲先生宅を訪問させて頂きました。建立時の苦労話し、裏話をお聞かせ頂きそして「山頭火句碑建立記念誌『水音』」を頂いて参りました。
「昭和11年6月9日、・・東北行乞の旅で、村上の地に杖をとどめ、句会を催した日・・。会に参集した地元の俳人は5人・・”渚”の名で(無季自由律)俳誌を編集し、10数名の同人を擁して活動を続けていた地元の文化人たちでした。碑石は・・花崗岩の自然石、総重量18トンという巨石は200基を越える全国の山頭火句碑の中でも群を抜いて・・はからずも日本一・・」と言う文はこの記念誌での長谷川勲先生の挨拶文よりの抜粋です。
翌日に早速、村上市役所近くの山頭火句碑を訪問しましたが、堂々たる句碑に三輪先生も感心しておられました。
句碑には村上句会で山頭火が披露された句
「水音がねむらせない おもひでが それからそれへ」と刻されております。
その後、村上大祭の山車や郷土歴史資料を展示してある「おしゃぎり会館」や重要文化財の「若林家住宅」等に三輪先生ご夫妻を御案内して参りました。
テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術
道路ペイントはアーテイスト(1)
次の写真は何を撮ったものでしょうか?

(1)想

(2)驚
この写真は赤瀬川原平氏の「超芸術トマソンの発見」(=「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」というのが赤瀬川氏による定義)に刺激されて、気づき撮った写真ですが。
ある日の朝の散歩時に路上の崩れかけたペイントに何気なく目をやると、その面白さに驚き、楽しくなりました。
年数経って崩れかけた路上の白いペイントがとても面白い表情している部分のあることを発見したのです。その後もあちこちの崩れかけた路上ペイントを見てまわり、随分収穫がありましたね。
この路上ペイント芸術には「路上観察学会」を結成した赤瀬川氏も気が付かなかったのではないでしょうか?
(1)の写真は勝手に「想」と名前を付けましたが、なにやら哲学的な思いに耽っている人の顔に見えませんでしょうか?
(2)の写真は左向きと右向きと右上部と『3つの顔』が見えてきませんでしょうか?
『無作為の美』、いつもは見過ごしている何気ないものにも見方によっては思い白いものがあるものですね。このような『路上ペイント芸術?」作品は他にも沢山取れました。
これとはまったく異質な物の中に又無作為の美を探してみたいと思ってます。-ustinaba
何十年ぶりに木下大サーカスを観てきました

(木下サーカスゲート前にて三輪真純先生と奥様)

(サーカステント前)
今週の9日(火)ですが、三輪先生と奥様をお連れして高崎で公演中の木下大サーカスを観て参りました。久しぶりと言うか、何十年ぶりというかのサーカスでしたが面白かったですね。
お二人も子供の時以来と言われてましたから70年か80年前?私も50年前かな?何しろ演技そのもの、そして演技間の切り替えのテンポの良さに感服でした。一回の休憩がありましたが約2時間の公演はまったく飽きる事無く、ハラハラ・ドキドキと良く調教することが出来るものだなーと感心の連続でした。またここでピエロ2人の存在価値が大きいですねー。演技切り替えのテンポの良さは正にこのピエロ2人に掛かってますが見事でした。
奥様も冥土の土産話が出来ました、と冗談言いながら喜んでおられました。
空中ブランコや大きな鉄製リングの中でのオートバイ疾走等は大昔と同じ演目でした。
最近サーカスを見られてない方は一瞬にして子供時代に戻りますし、とても楽しい時間が過ごせますので、近くにサーカス公演がきた時にはお勧めです!
実は私も今回サーカスに行く気になったのは、ある人がこのサーカス観て来て、面白かった、又行きたいくらい!と言われたのを聞いたからです。是非どうぞ!!
良寛を世に出した糸魚川の相馬御風史跡を尋ねる。-1
・相馬御風宅は御風の日本文学と良寛研究に尽くした業績を永久に保存する為、県の史跡と して指定されてました。
・所蔵していた民俗資料や良寛遺墨、著書等は糸魚川歴史民俗資料館(愛称 相馬御風記念 館)に収蔵し一般公開されている。
・相馬御風は中央文壇で活躍していたが新潟に帰る事となり、帰るなら良寛を研究したらよい と会津八一に奨められて良寛研究に着手している。
・御風の良寛研究の代表作『大愚良寛』は糸魚川にもどった2年目の35歳の著書。
(良寛遺跡ある出雲崎や分水町等は尋ねてますが、
糸魚川の良寛研究の第一人者である相馬御風史跡は私にとっては始めての訪問。
作詞曲は膨大で、詩や和歌、日本画もやる多才さに驚く。
民俗資料館では貴重な良寛の書簡、毬、墨蹟や会津八一の書も見ることが出来ました。
会津八一の記念館は新潟市にありますが。
本当に三輪先生が言われ実践している、その地を尋ねてこそ分かる事が多いものですね
--ustinaba)
東井義雄記念館、東光寺を訪問(兵庫県豊岡市)

(三輪真純先生語録)
・戦後の先生で一番偉いのは東井義雄先生。
培基根という実践記録が残されているが何処をきっても素晴らしい。
・一介の校長記念館が立ってる人はいないでしょう。
・八鹿小学校の校長時代、全国的に有名になり参観者が押しかけて来ても、また講演依頼が 多くなっても、教育現場から絶対に目を離すことは無かった。生徒、教師、父兄子の3者との 信頼関係を本当に最後まで大切にされた。
・兵庫県豊岡市の東井義雄記念館を訪れて見た著作物の多さに驚く。
(著書及び共著-140冊、論文、実践記録等掲載雑誌-900冊、東井義雄関連図書(序文、 紹介等-60冊)
・豊岡市内の温泉浴場に寄ったら、東井義雄先生の紹介コーナーがあった。これはいかに東 井先生が地元の人々に親しまれ、尊敬されていたかが分かります。
・東井先生のご自宅東光寺も訪ねましたが、小さなお寺でこれまた小さなお堂が建てられて おり、その中に東井先生と奥様の遺影等安置されていた。このお堂に入らせていただき三 輪先生が読経される。
・東光寺近くの道路わきに、東井先生の見事な詩碑が建てられていました。
(詩文)
『拝まない者も
おがまれている
おがまないときも
おがまれている』
(三輪先生の兵庫訪問に同行させていただき、群馬に帰って書店で妙好人関連の本を探していたら、『妙好人の詩(うた)』(菊藤明道著法蔵館出版)のなかに、従来妙好人と言われた人達の詩(うた)と共に東井義雄先生の詩も掲載されている事が分かり早速購入。この本に掲載されていた4編の詩の中に、東光寺近くの詩碑に刻まれていた「拝まない者もおがまれている」という詩がありました。東井先生は東光寺(浄土真宗)のお坊さんでもあったわけですが、従来の妙好人と言われた方々は在家の浄土真宗の方のようでした。この本の著者は斬新な取上げ方をしているようです。確かに在家に拘ることは無いのかもしれません。
今回の東井義雄先生の記念館と東光寺訪問は「たつの市の養心の会 播磨」を主催されております木南一志さまに大変遠い所をご案内頂きました御蔭で実現致しました。多謝!
--ustinaba )
池上三重子さんのこと
・先生は池上三重子さんの著書「妻の日の愛のかたみに」を読み、感動して直ぐにお便り書いて以来、23年もの長い間文通してこられました。この間に2回は天草の施設に、3回目は福岡大川市永寿園まで訪問。ベットから起きることも出来ず、また手の指も萎縮された状態ながら明るく観音様のような優しいお顔をされている。池上さんは若いとき無理をしたための重度のリュウマチで病床40年、病臥20年。
今年3月末に亡くなられた。(享年83歳)
池上さんの遺言で、三輪先生に供養いただきたいと10万円送られてくる。施設暮らしの方にとっては大変な金額であったろうに、と。
先生はこんな貴いお金を私が単に使うわけにはいかないと、30年もの長い間ネパールで学校建設や医療支援活動をやっているオギノ芳信さんに全額寄付されました。
そしてこんな群馬での供養では申し訳ないと、この9月8日に福岡県大木市まで、山口養心の会の前田敏統さんにご案内頂き、墓前供養のため訪問されました。
・生前に池上三重子さんは映画やドラマでも紹介されております、又歌人でもありました。
・記憶力と文章力が凄く、自省抄というエッセイ風日記も83歳になる今年3月初めまで書かれ、公開されてます。ブログ内のリンク「池上三重子 自省抄」を参照下さい。
自省抄を書くことは、私が生きている証と書き続けられた。
・この自省抄のなかで、池上さんは三輪真純先生の事を2回も取上げて下されてます。
(2005年に書かれた自省抄(33)と今年1月の自省抄(60)に、先生への感謝の念を込めて。)
(昨年10月の三輪先生の永寿園訪問に同行させていただいたとき、A4サイズと大きく印刷した村上の海岸で89歳になる私の母と一緒に見て、撮った「佐渡に沈む真っ赤な夕陽」の写真を持参し、池上さんに御見せしたら大変に気に入られ差し上げて来ました。
帰宅後直ぐにベットの正面の壁にかかげ、「見事な景観を眺めさせて頂けるとは!ありがたくてなりません」と丁寧なお葉書を頂きました。昨年10月に訪問させていただいてから今年2月初までで6通もの感慨深いお葉書とお手紙を頂きました。寝たままで不自由な手で乱れながらようやくに書いて下された便り。私の大切な宝物になりました。今回の墓参にも同行させていただき、手を合わさせて頂いて参りました。---ustinaba )
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