宇宙の香り
『いつも笑顔でありがとう』三輪真純先生著書刊行会刊 (写真はクリックにて拡大表示できます)
| HOME |
新潟中越地震の被災地山古志村を訪ねて
三輪真純先生のほほえみ

(三輪真純先生のほほえみ)
この写真は今年6月の村上市での講演時の先生のお顔です。
慈しみの心と品格がにじみ出る感じが致します。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
土屋文明記念文学館へ

(赤城山を望む)
三輪真純先生と高崎市郊外にある土屋文明記念文学館で「今日も赤城が見えるー風の山文学紀行ー」という企画展をやっておりますので出かけてきました。
この企画展も残念ながら明日(11/25)までなのですが。
・明治から昭和にかけては、高村光太郎・志賀直哉・与謝野鉄幹/晶子他多くの文人が赤城山を訪れていました。
・個人蔵で今回始めての公開という与謝野晶子の仮名書の展示もありました。
条幅にしては細字でしたが、線はしっかりしたものでした。
・正に大正デモクラシー当時に活躍した多くの文人達に赤城は愛されていたようです。
・この土屋文明記念文学館は高崎郊外の交通がわりと不便な所にあるために、地元上州に関連した多くの企画展を開催しているのですが訪れる人が少ないようでとてももったいない感じがします。
三輪真純先生の二十代の十八番は「あゝそれなのに」

(古賀正男記念館前で館長さんと三輪先生)
今年9月に池上三重子さんの墓参に福岡を訪ねた帰りがけに、大川市の古賀正男記念館をおとずれました。ゆっくり館内を見ているときに館長さんがいらしたのでお話ししている内に古賀正男メロデーをギターで演奏して下さることになりました。「影を慕いて」とか何曲か聞かせてもらったあとで、三輪先生が『あゝそれなのに』をリクエストされ、最近この曲は弾いたことないですね、とか話されながら館長さんは弾いてくださいました。
後で先生が話してくださったのですが、
師範学校を出た後、兵隊には行けなかったがお国の為に尽くしたいと満州行きを決意し、一緒に行ってもらおうと意中の人に結婚を申し込んでOKをもらいました。ところが相手の親には満州に行くのでは娘はやれない、と言われてしまいました。傷心のうちに一人満州に渡り、学校長と自分だけが日本人の小学校に赴任されました。
失恋と一人満州での寂しさで、やけ酒を呑み、生活環境もも大変だったのでしょうが結核をわずらい、鉄道自殺まで考えたのがこの時代でした。たまたま鉄道自殺の先客がいて、あまりの惨さを見て思い止まったということです。
遂に本土療養で失意の内に帰ることになったわけです。このような二十歳そこそこの若きどん底の満州時代にこの『あゝそれなのに』が十八番だったという事でした。
戦後満州から引き上げてきたはずの、お世話になった校長先生の家を九州に尋ねたときは、校長先生は病床ですぐに三輪先生を分からず、奥さんが「お父さん、『あゝそれなのに』の三輪先生だよ」と話してくださったら思い出してくれた、というお話しでした。
三輪先生が、今までの人生の中で辛かったのは、この若き満州時代と70歳でまったくベットの上で身動きできないほどの病気になった時であったということです。
しかしこんな辛い経験も無駄ではないのですね。
結核と失意で自殺の一歩手前まで行った事や70歳で大病をしたことで、弱い立場の人の心情が本当に分かるようになったということです。
まったく、頭で何となく分かったつもりでも実は体験してみないと本当のことは分からない、ことだらけですからね。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
母からの手紙

(野口シカの手紙) (母からの便り1) (母からの便り2)
野口英世がニューヨークにいたころ、母のシカが英世に送った有名な手紙の後半です。
『...わたしも。こころぼそくありまする。ドかはやく。きてくだされ。...はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきくたされ。はやくきてくたされ。』とあります。
比較するのもおこがましいのですが、母の心情、そして文字のたどたどしいながら,
その率直さも本当に良く似ているなと思い、新潟村上の老人医療施設に入ってもらっている、90歳になる私の母からの手紙を並べてみました。
(母からの便り1)は
三輪真純先生が奥様と村上まで来ていただき、帰り際に母に会って頂いた日に書いてくれた葉書です。(三輪先生ご夫婦の御蔭様で母は率直に喜んでくれました。)
『ありがとう 今日は良い日だった みわ先生がわざ々 己表(誤字で本当は三面)の里まで来てくだされて 何十人の なかで私が一番仕合せですね。これもみんなお前さんのおかげありがとう 死ぬまでいい人で居ましょう ありがとう 々』
右下に追加で『美弥子さんもよくして下れて 死ぬまでよろしく』
(近くで世話をしてくれている兄嫁とされている母の二人には三輪先生の「さっちゃんへ贈る歌」を是非聞いてもらいたいと講演会場にも来てもらいました)
(母からの便り2)は
一ヶ月ほど村上に帰れなかったら、早く来てくれ!との便りが来ました。(表書きは私が書いて文面だけ書いてくれればよいように何枚か渡してくるのですが)
『....忙しいの一度来て下さい 私はひまで あなたと遊んだ事を 思い出して 又 来て下さいよ しばらく来ないね 待ってます .....』
とあります。

(村上郊外の大沼に白鳥が飛来してました)
11/13から村上に帰り、車椅子の母を気分転換のため、施設から連れ出し、一日あちこちいってきました。村上郊外の大沼にもう白鳥が飛来してました。日中は近くの田んぼに落穂ひろいなどで出かけてるため、沼に残っている白鳥の数は少なかったですが、多くの鴨などとのんびりと羽繕いなどしてました。

(施設で算数ドリル中の母)
高崎に帰る日にまた施設に寄りましたら、リハビリの一環として、算数ドリルをやっている所で、3つの数の足し算ドリルでした。前半は合ってましたが後半は間違いだらけ。でも元気な笑顔でしたからOKです。
さよなら行脚「高野山・奈良」(その2)

(奈良五條市 犬飼山転法輪寺)
11/8は高野山の宿坊「桜池院」の6;30〜の朝のお勤めに同席させて頂き、奥の院をゆっくりと昼過ぎまで歩いた訳ですが、三輪先生の夜の講演の為、午後は奈良五條市の犬飼山転法輪寺を訪れました。
この転犬飼山転法輪寺は1200年前弘法大師が41歳のときこの地を訪れ、道中安全の為に明神様の使者である白黒2犬を賜り、無事に高野山を御開創され、それを後世に伝える為に建立された、という謂れのあるお寺さんで、三輪先生は2回目の訪問・講演でした。

(転法輪寺の皆様と)
夜18;30〜の講演でしたが、60人以上の多くの方々がお集まり下さいました。
写真後列右のご婦人は、四日市と奈良市から高野山からご一緒頂いき、御案内頂いたお二人です。
この転法輪寺さまには、熊本の大野勝彦さまやねむの木学園園長の宮城まり子さまにもお出で頂きお話しをしていただいたとのことでした。

(奈良正倉院前にて)
今回の日程は幸運な事に年一回の正倉院展が開催されており、高野山からご同行頂いていました大矢壽子さまと、奈良では大矢さまの娘さん御夫婦にもお世話頂きまして、混雑を避ける為午前の早いタイミングに正倉院を訪れる事が出来ました。
退館する昼頃には長い行列が出来ていて大変な状況となってました。
三輪先生も、高野山の奥の院と正倉院展は初めてと言うことで喜んでおられました。
今回のさよなら行脚も、多くの方のお世話とご縁を頂きまして有難い旅となりました。
さよなら行脚「高野山・奈良」へ(その1)

(高野山 奥の院を尋ねて)
三輪真純先生と「さよなら行脚」を続けております。
今回は、11/7〜11/9に高野山から奈良を尋ねてきました。
三輪先生も高野山は1回訪れたことがあるとの事ですが、奥の院を尋ねるのは今回が初めて。私は高野山自体が始めての訪問でした。
一の橋から奥の院御廟までの約2Kmの間に武田信玄・織田信長はじめ本当に多くの武将の墓が並んでました。
私は新潟県村上出身ですが、この奥の院参道に「越後内藤候墓所」と「越後佛海上人墓所」と村上関連で二つの墓所があるのにちょっと驚きでした。内藤候は村上城主ですが名だたる有名武将に並んである由来は後で調べてみまたいと思います。

(佛海上人墓所)
佛海上人は村上市肴町観音寺の住職で、日本で最後の即身仏になられた方でした。(明治36年76歳で世を去り、昭和36年に発掘された)
即身仏になるという事は現在は法律で禁止されているわけですが、五穀を絶ち、木食行で腐りにくい体質に変える修行の結果、という事ですので凄まじい話しです。

(佛海上人の即身仏が安置されている村上市観音寺)
11/14に村上に帰りましたので、観音寺の佛海上人即身仏を尋ね、参拝して参りました。
今回の「さよなら行脚」は奈良 犬飼山転法輪寺での講演と正倉院展拝観の(その2)と続きます。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
前橋木鶏クラブで武藤貴代様にお話頂く

(前橋木鶏クラブで武藤貴代様にお話し頂く)
前橋木鶏クラブでは毎月第二土曜に例会を開催しております。
今回はいつも例会会場をお借りしています「ノイエス朝日画廊」のチーフをされております武藤貴代様に『私の美学』というタイトルでお話を頂きました。
写真は詩人の伊藤信吉先生から頂いた色紙をご説明されている武藤貴代様と右となりは前橋木鶏クラブの代表もお願いしています三輪真純先生です。
武藤貴代様は群馬一番の老舗書店の煥乎堂書店に20年間勤務され、画廊担当のほか、出版編集業務に携わり、その後2003年より現在の朝日印刷工業に入社され、ノイエス朝日の責任者をされておられます。
今年度は上毛新聞の『オピニオン21 視点』というコーナーの委託作家にも選出され、すでに7件のオピニオンが掲載されております。
長い画廊・出版関連のお仕事を通して多くの作家・詩人・画家・陶芸家・書家他の方々と交流・親交を深めてこられたり、ご自身の大変な勉強・研究を通して培われた『感性や思いやり・心くばりの大切さや本の編集』にかかわるお話しを頂きました。
特に、オフィシャルな立場を越えた、心を込めてのお世話や御持て成しを通して先生方との交流を通してのお話しが伺えて、印象深いものが御座いました。
また、こんなお話しも頂き感じ入りました。
「水上勉先生の本は文字が浮き上がってくるほどの描写力がある」
「本当に心を許してくれないとアトリエには入れてくれなく、今までで20名ほどしかいない」
「画家のパレットを見るとどの程度の画家かわかる」
「自分が病気して寝ていた時、最初に詩人の伊藤信吉先生が贈ってくれた花にはとても感 動した。 伊藤先生の命日には今でもお墓参りをしている」
「良い器はいつも使ってこそ価値がある。それを普通は良い器は大切にしまい込んでいる」
お世話になった方の命日を覚えており、毎年墓参するということは並では出来ることではありませんね。帰りの三輪先生をお送りする車の中で三輪先生もうなっておられました。
(以前にも書きましたが、今回お話し頂いた武藤貴代様と元上司で現在土屋文明記念館館長・県立図書館館長の岡田芳保様のご教示・ご支援が無ければ、今回の三輪先生の『いつも笑顔でありがとう』もこんなに立派には到底出来ませんでした。
このお二人にご縁を頂いたきっかけは、三輪先生が水上勉先生の研究をされていて、前橋に詳しい方が居られるようだから一緒に行こう、と言ってくださって『ノイエス朝日画廊』に伺った時から始まりました事を付け加えさせていただきます。)
タイ訪問記(その2) 『子供達の出家』

(タイ 子供達の出家修行)

(毎朝の托鉢)
タイ・ラオスでは男の子は全員出修行に入るようです。
真新しい僧衣をまとい、修行寺院に向う子供達と見送る母親の顔はとても爽やか。
毎朝6時には毎朝子供達は素足で街を乞食・托鉢に回り、
敬虔な人々は具物を奉げる。女性はひざまずいて。
人様から頂くことと、差し上げること、で感謝とお返しの心や、人と人とのつながりを大切にする心が自然に養われているのでしょうか。
このようなことが、日常社会の生活の一環として、文化として行われていることに驚きました。
最近のタイ国情は複雑のようですが、市民レベルでは大切なものはしっかりと継承されているるという事でしょうか。
タイの人々は優しく、笑顔の人が多いと聞き、そのようにも感じましたが、このような所からも来ているのかも知れません。
タグ : 大切なものの継承
タイ訪問記(その1) 『こんな素敵な微笑みの像に出会いました』
奈良・高野山を三輪真準先生と訪問予定

(奈良よりのお客様をお迎え。三輪先生宅東光院にて)
今年8月に三輪先生を尋ねて奈良より来られたお客様をお迎えしましたら、今度は奈良・高野山に訪問させていただくことになりました。(11/7〜11/9)
11/7に高野山に入り、11/8夜は奈良/転法輪寺さまにて講演、11/9AMに正倉院訪問を予定しております。
三輪先生も高野山には一度しか訪れてなく、奥の院にはその時は行かれなかったとの事です。また丁度このタイミングは年に一度しかない正倉院が開催中ですので是非訪院してきたいと思っております。
奈良からのお客様は2家族7人の方々でしたが、三輪先生が奈良で講演したときに初めて知り合い、お互い同士の交流が始まって、ご一緒に群馬まで来られる間柄になられたとの事です。出会いとご縁はこのようにつながっていくのですね-。
訪問記は後日またこのブログで紹介させていただきます。
タグ : ご縁のつながり
| HOME |









