宇宙の香り
『いつも笑顔でありがとう』三輪真純先生著書刊行会刊 (写真はクリックにて拡大表示できます)
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釈尊の足跡を辿る旅・インド 旅行記
この旅に参加した思惑は、釈尊が仏教を説き始めたわけですが、思想は風土と深い関係が有るでしょうし、また近年大きな経済発展を続けるインドの現状に付いて自分の目で見てみたいという所にあります。勿論広大なインドを10日位の日程で一回位訪れてもほんの一端しか分からないでしょうが。
主な訪問地は、下記となります。
1)ベナレス:ヒンズー教の聖地でもあるガンジス河の沐浴場のある地
2)サルナート:ブッダが始めて教えを説いた初転法輪の地
3)ブッタガヤ:ブッダが悟りを得た地、ブッダ苦行の地前正覚山
4)ラージキル:ブッダが晩年を過ごした聖地山「霊鷲山」、仏教の第1回の会議の行われた「七葉窟」
5)クシナガル:ブッダ入滅の地
6)ガンワリア;ブッダの故国
7)ラクナウ:祇園精舎ブッダが生涯最も長く滞在された精舎
8)デリー:インド博物館
インドの人口は約11億、日本の10倍ですね。ただし、有名なカースト階級制度が根強く続いているわけですが、このカースト階級からももれる下層階級の人々も存在し、正確な人口把握数はないとのことでした。
三輪真純先生の著書「いつも笑顔でありがとう」が点字図書化されます
この質問箇所は再確認して早急に回答予定です。
この点字訳が完成しますと、視覚障害をお持ちの方も先生の本を読むことが出来る事になります。
点字訳以外にカセット録音とCD録音したものは、群馬点字図書館によって昨年中に完成していることがわかりました。
著書を読まれた関係者の方が多大に感銘してして、視覚障害者の方々にも読んで頂きたいと点字訳の図書化として取上げてくださったそうです。
三輪先生もこのような広がりを持ち出したことについて大変有難いと言われておりました。
越後村上内藤候のお墓が何故高野山奥の院にあるのでしょうか?

(高野山 奥の院の越後村上内藤家の墓)
昨年11月に高野山奥の院を訪れたときには、
私の故郷村上関連のお墓が2つもあり驚きました。
その内の1つは佛海上人のお墓で最後の即身仏になられた方という事がわかり、以前ブログ紹介いたしました。
もう1つの、村上城主内藤候のお墓が何故、いつ、誰が建立したのか疑問に思っていました。
昨日この件に関して、新潟県津川の新善光寺にいる同級生から下記のような貴重な連絡をいただきました。
1)村上城主 内藤家の初代弌信は徳川家康の異母弟信成から五代目。
2)内藤家の菩提は村上市羽黒口の光徳寺にある。
3)高野山に何故祭られているかはわからない。
4)歴代の徳川家としては、日光東照宮に2人、上野寛永寺に6人、芝増上寺に6人祭られている。
5)光徳寺住職さんに話しておくから帰ったときに話しを聞いてみてくださいと。
高野山には徳川家康の霊台が3代将軍家光によって建立されています。家康のお墓は静岡久能山と日光東照宮ですが高野山にも祭られてました。
徳川家で高野山に有るのは家康と内藤候の二件だけですので、やはり親子故と言うことかも知れません。
ここの所は教えて頂いた光徳寺にも訪れてもう少し調べてみたいと思います。
何となく登っていた村上城(臥牛山)も色んな歴史の上にあるようです。チョッと興味を持つと結構情報のつながりが出てくるものですね。
これも三輪先生の「縁を大切に」と「好奇心を持つ」につながるのかもと。

(村上城址案内-1)

(村上城址案内-2)

(村上城址案内-3)
上記写真3枚は現在の村上城址案内を読みやすく3分割したものです。
天守等の建物はありませんが立派な石垣が残っており、天守跡からの村上市内の展望は素晴らしいです。
高さは135mとそんなに高くは有りませんが、ケーブル等はありませんので自分の足での登りとなります。
古城の面影を味わうには大きな石垣を眺めながら歩くに限ります。ヒールの低い靴、出来たら運動靴のような歩きやすい履物を用意して頂いたほうが良いと思います。
是非村上を訪れた時は臥牛山頂まで足を伸ばしていただきたいと思います。
木漆工芸家の任 性珍 大石祐子 ご夫妻を訪ねる

(木漆工芸家 任 性珍 大石祐子 ご夫妻を訪ねる)
1/12の前橋木鶏クラブ例会は2007年伝統工芸展の木竹工部門で入賞された木漆工芸家の工房『世二』を訪ね、工房や作品を拝見させていただき、作家活動の苦労や思いをお話し頂きました。
最初に轆轤工房で轆轤加工をするときに使われる刃物を約30種類、総て自分で鋼棒より焼入れ打ち出しをやる、それも夫婦でそれぞれ作家としてやっているが自分に会ったもの作られるという事からお話し頂き、その拘りの深さに驚きました。
また、使う木材の性質から寝かし乾燥、土地柄と木質の関係など多くの目に見える前の考えるべき点や、大変に手間の掛かる工程を手を抜かず伝統をきちんと守りながら、新しい確かな良いものを創りあげる、という志の高さ深さも淡々とした口調の中で感じられ、
今回訪れたメンバーもとても勉強になりましたと感心しておりました。
機会がありましたら、安中の三輪先生の東光院から直ぐ近くの下秋間ですので工房『世二(せい)』を訪ねてみたら如何でしょうか。
高野山奥の院参道にありました内藤家は村上城主 そして町屋のお雛様巡り

(高野山奥の院参道にありました越後村上内藤家の墓)
高野山奥の院参道に越後村上名の付く墓が佛海上人とこの内藤家と二つもあり驚き、チョッと調べて、佛海上人に付いては以前紹介しました。
今回は内藤家関連に付いて概略紹介したいと思います。

(内藤家の居城は臥牛山中心に築城)
内藤家の居城は村上市街近くの臥牛山中心に築城されてます。

(臥牛山に残る村上城の石垣)
村上城には立派な石垣が残っており、桜の名所にもなってます。

(臥牛山頂よりの眺望)
臥牛山頂からは村上市街から瀬波温泉のある日本海、右手の鮭の上ってくる三面川等が一望できます。
主だった村上城主についてチョッと調べてみました。
1)室町以来、地頭本庄氏の根拠地
2)1598年:村上頼勝 9万石 越後一国を秀吉から任された掘秀治の与力
3)1618年:掘 直竒 10万石 越後長岡より
4)1649年:松平直矩 15万石 姫路より
5)1729年:内藤氏 5万石 三河以来の徳川譜代家
内藤氏は石高小さいが幕府の信頼厚く、大阪城代、京都所司、老中など要職に度々付く。また小藩の財政のため堆朱工芸や鮭養殖をはかり、明治維新までの約150年余り、安定が続いた。
この堆朱工芸や鮭養殖は今でも村上の大切な産業として続いてます。またお茶栽培の北限地が村上で日射が薄いという地域性から高級茶の産地となってます。
このように幕府の信頼厚く長期に安定な時代を築いた為に、高野山に内藤氏の墓が設置されたのか?この直接の謂れはまだ調べきれておりません。
チョッと宿題が残ってしまいました。
村上城主の概略はこのようですが、この安定政権の御蔭でしょうか、村上市街の町屋に古くから代々保存されてきたお雛様が3月1日から3月末までの一ヶ月間、各町屋の中で飾られ公開されます。この町屋ではお雛様公開中という看板が通りに立てられますので、その町屋には誰でも入ってお雛様を見ることが出来ます。これが町興しの一環として実施されている村上の『お雛様巡り』です。
今年は三輪先生ご夫妻を3月末にこの『お雛様巡り』に御案内させて頂く予定です。
冬の新潟村上に行ってきました

(トンネルを抜けると正に雪国)
1月2日に村上に向いましたが、関越トンネルを抜けると正に美しい雪国が。

(冬の日本海は荒海が常)
新潟から高速を降りて海岸線を村上に向うと、「はまなすの丘」と名づけられた休憩所があります。ここで一休み。海は大荒れの状態ですが冬の日本海はこれが常。これも私の好きな冬景色の1つです。
この大荒れの海を見ると、大分前ですが書作品に書いた草野心平の詩が思い出されます。
『夜の海
遠い深い重たい底から。
暗い見えない涯のない過去から。
づづづづ わーる
づづづん づわーる
ぐんうん うわーる
・・・』

(冬の日本海 わずかに雲がきれた夕暮れ模様)
冬の裏日本は厚い雲に覆われる日が多いのですが、時たま雲がきれ見事な冬にしか見られない夕暮れ模様にお目にかかれます。カモメも飛んでます。これも素敵な冬景色。
次回には高野山の奥の院で越後村上名の付いたお墓が二つもあったわけですが佛海上人は以前取上げましたので、もう1つの内藤候についてふれたいと思います。
20080101新年明けましておめでとう御座います

(20080101群馬県高崎より初日の出)
新年も初日の出を拝むことから始まりました。
真っ青な空に刻々と朝日が昇ってきます。
そして今年の初仕事・朝仕事は朝のウオーキング帰り道でのゴミ拾い。今日もビニール袋一杯の収穫です。

(初日を受けて榛名山と私)
高崎郊外の私の家から少し歩くと田んぼの広がりがまだまたあります。
朝焼けに榛名山も輝いてます。
そしてカメラを構える私はの足がこんなに長く。

(今年の私の一文字は『心』)
昨年は三輪真純先生の全国へのさよなら行脚に同行させて頂き、そして多くの方々とご縁を頂きまして有り難い年でした。そして三輪先生92歳のお元気の源は、先生のいつも言われますように「縁を大切に」することによって、『多くの方々の温かい心に触れ合う』ことから「元気の元・生きる気力」を頂いていると感じ入っております。
『縁を大切に』とは『心の触れ合いこそ 生きる力』とも言えるのではないでしょうかと!
それで、今年の年賀状には『心』一文字を書かせていただきました。
この新年は、初日の出を拝み、初仕事で爽やかな気分となり、しばらくぶりで集まった家族4人での朝の雑煮を頂き、と有り難く始まってくれました。
明日は新潟の90歳になる母が首を長くして待ってますので雪の新潟村上まで行く予定です。体は不自由な所がありますが元気で居てくれ有り難いです。
皆様も良い新年をお迎えのことと思います。お世話になると思いますが今年も宜しくお願い申し上げます。
宇宙の香り・ 稲葉州治
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