宇宙の香り
『いつも笑顔でありがとう』三輪真純先生著書刊行会刊 (写真はクリックにて拡大表示できます)
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福山 尾道 倉敷 玉島(4)

(大原美術館門前にて)

(大原美術館本館前)
1/30の午後は倉敷の大原美術館を訪れました。美観地区内で倉敷民芸館から直ぐ近く。
立派な石造りの本館は実に堂々としており、ロダンの彫刻が両サイドで迎えてくれます。
本館、別館ととても広い美術館でゆっくり歩行の鑑賞は大変疲れますので車椅子に坐っていただき、音声ガイド借りてトータル3時間位と実にゆっくりと鑑賞を楽しむことが出来ました。
展示絵画は実に充実して、民間の美術館では最高級レベルと感じました。
モネ、ルノワール、ゴージャン、セザンヌ、ルオー、ピカソ、シャガール、モディリアーニ、他あげきれないほどの作品で、具象・抽象と実に広範囲の名画を収集してます。
個人的興味度高い作品でルチオ・フォンタナの『空間概念 期待』(赤一色のキャンバスの表面に3本のカッターによる切り込みを入れた作品)がここに収集されていることは、まったく知りませんでしたので驚きました。絵画でも彫刻でもない新しい表現法の作品です。
数ある名画の中で、1部屋に大作が一点のみ展示してあり、これがエル・グレゴの『受胎告知』でした。
後でこの美術館の創立者の伝記『大原孫三郎の生涯(*)』を読んでみましたら、この名画が先の大戦で米国による空襲からこの倉敷の町を救った、という事が分かりました。
この経緯は「昭和7年に満州事変調査のため来日したリットン調査団の一部団員が大原美術館を訪れ、そこにエル・グレゴをはじめとする名画が数々並んでいるのに仰天する。
このことからクラシキの名が世界に知れることとなり、太平洋戦争下も世界的美術品を焼いてはならぬと、倉敷は爆撃目標から外された」とありました。これも凄い話しですね。
(*)「わしの目は十年先が見える『大原孫三郎の生涯』」城山三郎著新潮文庫(美術館内で販売してましたので購入)
倉敷紡績社長であった大原孫三郎という人は文化事業にも大変熱心な凄い人物で洋画の収集には知人の画家児島虎次朗をヨーロッパに派遣して美術品を選定・購入させた。この虎次郎は東京美術学校を最優秀で卒業制作が皇室お買い上げとなるほどの画家で、ヨーロッパでは画家のアトリエを訪問して画家が大切にして手放したくない作品も説得して手に入れたと伝記にあります。
大原美術館には是非また訪れたいものです。
福山 尾道 倉敷 玉島(3)
8;30に千光寺山荘を出発、尾道から倉敷は電車で約1時間。

(倉敷美観地区の掘割風景)
倉敷では最初に美観地区を訪れましたが、
ここには掘割と街路樹、周りを取り囲む歴史を感じさせる奇麗な風景がありました。
チョッと福岡の柳川の掘割と川越の蔵造りの町並みの双方の美しさをミックスした感じがしました

(倉敷民芸館)

(民芸館で展示物を食い入るように見つめられる)
この掘割沿いを散策。途中にあった茶屋で一休み後、直ぐ近くの倉敷民芸館を訪れました。
江戸時代後期に建てられた米蔵を活用して、昭和23年に開館した日本で2番目にできた民芸館ということです。
東京駒場の日本民藝館は昭和11年に日本で最初に開館した民芸館ですがこちらも以前三輪先生と2人で訪れてます。
民芸館設立についてチョッと調べてみました。
日本民藝館はこの倉敷のクラレ社長で大原美術館の創立者である大原孫三郎の資金援助で民芸運動の提唱者である柳宗悦が設立し、この倉敷民芸館は大原孫三郎の息子でクラレ社長で父同様に文化事業に積極的な大原総一郎が米蔵4棟を提供して創られたとのことです。ここ倉敷が戦後「民芸の町」として知られるようになった背景には昭和21年に総一郎が招いた柳宗悦の指導で岡山県民芸協会が設立されたことがあるとのことです。
親子2代で民芸館設立に貢献しているんのですね。
次は大原美術館と大原孫三郎について記したいと思います。
養心の会よりの便り
一昨年から三輪真純先生のさよなら行脚に同行させて頂き、「養心の会」の兵庫、山口、小豆島、北九州の各地の皆様とご縁を頂いております。
各、養心の会のリーダーの方たちは会報新聞等を発行されており、毎月外部講師をお招きしての講演会や勉強会を開催しておりまして、大変に熱心な活動をしておられます。
そしてその学びを自分達自身の行動として、街頭や学校でのお掃除や環境問題他への支援等に結びつける努力を日々されておられ、とても頭が下がります。
今回の、「山口養心の会会報誌『養黙』前田敏統・麻友子ご夫妻発行」の中に次のような紹介文が掲載されておりまして、「群馬の方でも紹介よろしく!」というメモも同封されておりました。
要点は下記です、どうかご覧ください。
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その記事内容の1つは、
日本熊森協会という自然保護団体を立ち上げられ、
全国規模で活動されておられる森山まり子先生の活動内容と支援活動に付いてです。
・日本最大の自然保護団体を結成し、発言力を高め、国に働きかけ、国政レベルで日本に森・水を守り子供達に残すことを目標とされている。
・その地域に於ける最大野生動物が消えると森が消え、水が消える。
・日本の最大野生動物である熊が生きていけない森は、やがて消える。
・杉とヒノキのみの緑では生物は生息できない。
・日本熊森協会は原生林を守り、再生したいと行動している。
・この協会活動への理解と活動の輪を広げる為小冊子『クマともりとひと』
を1冊100円で発行している。(連絡先;FAX052-581-5008川島様担当)
*確かに、里や町までにもクマや鹿や狸などが餌を求めて出没するのは、今の森だけでは生きて行けないからでしょう。これを被害を受けるからと仕留めることだけでは、自然と動物と人の共存のための根本解決にはならない、という事なのですね。
*北海道の海産資源回復の為に、近くの山の森を豊かにしたことが大きな効果につながった、というニュ-スが数年前にありました。
『自分以外のもののために生き始めた時から、本当の人生が始まる』というのが2月例会での森山先生のお話の1つ、というご紹介でした。
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先ほどの小冊子を少し求めて、前橋木鶏クラブでも紹介させていただこうと思います。
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体
群馬甘楽郡 下仁田 本宿 神戸家訪問
奥様の神戸絹江様には昨年5月の木鶏交流会にて講演して頂きまして、その後もお手紙交信させて頂いておりました。
先日のお葉書で、ご自宅の蔵が「国登録有形文化財建造物」に指定されました、という事が記載されておりまして、三輪先生にお話して一緒に行って頂く事にしました。
絹江さまが昔から三輪先生のお宅には良く来られておられたお話は先生から聞いておりましたが、随分前に絹江さまがまだお子様も小さい時代に「三輪先生の講演をうかがい、そのお話しの中で『困ったことがあったらいつでも来て下さい』と言われましたので、東光院に伺って色々と話しを先生に聞いていただき本当に助かり、それからの生きる道筋を付ける事ができて私の今があります。」とこのたびご自宅を伺ったお話の中で話されました。
それ以来、絹江様は三輪先生ご夫妻を叔父様叔母様とお慕いしておられるという事です。
三輪先生のこのような相手の気持に成って話しを聞き親身になってお考えくださる、しかもその時一時的なものでなく、縁を大切にして長い間継続して。
(先日の福山の朴さん訪問も同じですが、この辺が三輪先生のすごい所の1つと感じてますが。)

(神戸家双渓堂と母屋)
ご主人より双渓堂(左建物)を表庭より説明頂く)

(双渓堂に掲げられている看板)
前置きが長くなりましたが、下仁田本宿 神戸家の双渓堂は、西牧領・本宿村の名主の迎賓館として180年ほど前に建てられたもの。明治20年に本宿の大火で母屋や酒蔵は消失したがとなりにある双渓堂は難を免れた。このため2007年に「登録有形文化財建造物」に登録されたとのことです。

(双渓堂一階座敷上段の間にて)
双渓堂は内部に三部屋を備える座敷蔵。見事な屏風や襖絵額・軸などが沢山ありました。2階は宝物蔵となっているようです。

(お持て成し御蕎麦と料理準備下さる神戸ご夫妻)
ご主人に双渓堂のお話を沢山伺ったのち、驚くことにこのご主人は蕎麦打ちの名手で、専門の蕎麦打ち部屋を持ち、研究を重ねた蕎麦打ちノートを作られておられました。秘伝の汁も作られ、その御蕎麦はとても美味しく頂きました。また奥様の美味しい手料理も沢山いただきまして、大変恐縮し、また有難く感謝して帰ってまいりました。
またご主人のお話ではこの本宿にはまだ文化遺産が整理されていものが多く残っているとのことでした。そのような大切な文化遺産が整備公開されますと、この下仁田本宿の新しい見所・アピール点となり町興しの一環になるかもしれませんね。是非とも進めて頂きたいものと思います。
釈尊の足跡を巡る旅・インド(3)

(サルナートの迎仏塔)
ブッダと苦行を共にした5人の修行者が最初にブッダに帰依した地に建つ大きなストーパ(塔)。面白い形をしてますが、下部は紀元前に建てられ、上部の7角形の塔は16世紀にムガール王朝の3代目イスラム王がもともとのストーパの上に重ねて造ったものという。

(アショカ王石柱頭部にあった四つの獅子像)
サルナートはブッダが悟りを啓いた後、初めて法を説いた初転法輪の聖地。
少し離れた所にもダメーク塔というストーパもあり、サルナートの遺跡群より初転法輪像やアショカ王柱の頭部(インド国章となっている四つの獅子像はこの石柱頭部の像からとられた)など、極めて重要なものが出土している。
【アショカ王】;紀元前250年前後にインド大陸をほぼ統一したマウリア王朝の第三代目の王。古代インドにあって仏教を守護した大王。仏教発展にとって大変大きな影響を与えた王のようです。
福山 尾道 倉敷 玉島へ(2)

(尾道 浄土寺にて三輪真純先生)
1/29は福山でキムチ美人本舗の朴さんにお会い後、三輪先生に色々と地域情報をおくってくださった伊勢崎の方の故郷と言うことで、尾道を訪問しました。
尾道には古寺と言われるお寺が25寺もあるので驚きです。
数日前にこの中国地方にも雪が今までになく降ったとのことで、高崎や安中よりも多くの雪が残って寒い状況でした。
尾道は坂や階段が大変多い所で、先生には文学館や美術館訪問は歩いてはキツイので車で行ける浄土寺と西国寺を訪れました。
浄土寺は国宝の多宝塔などがある風格ある立派なもので、
また西国寺は天平年間に行基を開祖とし、火災後の平安の時には白河天皇の命で復興されたという。西国一の寺ということで名付けられたという長い歴史を持つお寺さんでした。

(尾道 西国寺)
尾道市街のシャッターが降りた店の多いのにはちょっと寂しい。
この日の宿は千光寺山荘で高台にあり、尾道港や四国へ通じる新尾道大橋などが一望の下に見渡せる素晴らしい所でした。
この宿のある千光寺公園一帯は桜の名所のようで、今回は行けなかった林芙美子・志賀直哉の関連も含め、また訪れたいものです。
福山 尾道 倉敷 円通寺(1)

(福山 キムチ美人本舗 朴さま訪問)
最初に福山訪問の件のご報告させていただきます。
かねてから、三輪先生がキムチの長期契約購入者を募るとか、支援されている岡山県福山市でキムチ美人本舗を経営されておられる朴さまを訪問して参りました。
焼肉店経営から現在のキムチの製造販売経営に変わられたのですが、ながらく体調がすぐれないという事をお聞きして三輪先生が心配されておられました。
今回の訪問時には新しい事業も軌道に乗り始めたと言うことで、まだ完全という訳にはいかないようですが、随分お元気なご様子でしたので先生も安心されました。
朴さまも先生と文通はよくやられてましたが、是非三輪先生にお会いしたいと考えておられたようで、今回の訪問をとてもお喜びの様子で宜しかったと思います。
次の訪問地からは、次回報告とさせていただきます。
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